シンギュラリティ

2000年前と今、変わったこと、変わらないことってなんだろう。今と2000年後、いや100年後、変わること、変わらないことってなんだろう。

いつも佐藤健太郎さんの書く記事は楽しく読ませていただいているが、最近投稿された二つの記事を読んで、考えさせられたことがあった。

1 世界史を変えた新素材 変幻自在の万能材料――プラスチック 前編
2 薬にまつわるエトセトラ 第32回「AI創薬の波」

一つ目の記事で特におもしろいと思ったのは、近代に入ってから見つかったプラスチックが、実はローマ帝国の時代に見つけた人がいたかもしれない、という話。
床に叩きつけても割れないグラス(プラスチック性としか考えにくい)を、職人から献上された、時の皇帝ティベリウスは、その職人につくり方を知っているのはお前だけか、と問う。
私だけですと答えた職人を、ティベリウスは賞賛すると思いきや斬首してしまう。
もしこれが本当にプラスチックであれば、職人が殺されていなければ、歴史は大きく変わっていただろう。

佐藤さんは、ティベリウスが暴君であったというよりは、常識を覆す性能をもった素材の出現によって、せっかく安定してきた政治が再び不安定になることを嫌ったのではないかと解説している。(新物質の登場は、どっしりした権力のピラミッドでさえあっさりと覆す可能性があることをこの話は象徴しており、化学者としては高揚感を感じるものである。)
ティベリウスが、ローマ帝国の安定を守るため、瞬時にそのような判断を下したのだとしたら、為政者としては翠眼としか言いようがない。ここで、自分だったらそこまで頭が回るだろうか?と、ハッとする。

僕は塩野七生のローマの歴史に関する著作を読んでいるが、ローマの政治は(2000年も前のことだというのに!)とてもよく考えて制度設計されており、リーダー達は今の人類と比べても遜色のないレベルだったと推察される。
つまり、約2000年の歴史を学ぶと、人類は多くのことを克服し、明らかにしてきたが、人類一人一人の能力は、決して大きく向上しているわけではないということが、逆説的によく分かる。ティベリウスが職人を斬首した事件のような咄嗟の英断は、長いローマの歴史の中で、幾度となくあったことだろう。ローマの時代から、大きく社会自体は発展した現代の我々のほとんどは、こんな芸当はできない。あんまり、頭の回転は速くなっていないということだ。

一方、二つ目の記事は、人工知能についての記事で、人工知能「アルファ碁」が、とうとう人類最強の棋士を倒してしまったニュースを引き合いに、創薬分野で人工知能が活躍する未来についての予測を行っている。
どの分野でも人工知能が攻め込んでくるぞ、という記事も書けるのだが、流石の佐藤さんはもう少し具体的な数字にして、論旨に説得力を持たせている。
それを要約すると、囲碁の打ち手は10の360乗なのに対して、分子量500以下の低分子の中で薬剤としての可能性を持つものは10の60乗くらいの数になる、つまり、創薬分野でもAIは活躍するはず、だそうだ。

二つをまとめると、有史以来、人類が手中にしたテクノロジーの総量は増えてきたが、一方で、それを使役する人間の能力自体は、向上していない(あるいは低下しているというものも見たことがある)。例えれば、我々は手が2本から、1本、また1本と手が伸び、手にいろいろなものを持った千手観音のように進化してきた一方で、脳みそ自体の成長はしていなかった。これでは、満足に使える手は、千本の内、たかだか数十本であろう。
AIの獲得は、頭もニョキニョキと生えてきて、まさしく千手観音のようになるということなのではなかろうか。
シンギュラリティという言葉はここ数年、よく聞くようになったが、この二つの記事を読んで、理解が進んだ気がした。

感情だとか、気持ちだとか、そういうものもパターンで認識することってできるらしい。
100年後、世代が変わった人類にも、僕らの思うところの”人間らしさ”ってあるのだろうか。

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